シドニー五輪では競泳2種目に出場し、伸びやかで力強い泳ぎでお茶の間を熱狂させた萩原智子さん。実は、水泳を始めたきっかけは「海で溺れかけた」ことだったそう! 子ども時代のお父さんからの教え、選手時代のコーチとの対話など、萩原さんを育ててきたものを伺います。
子ども時代は、多すぎる習い事にうんざりしていた
子ども時代の私は、毎日のようにいろんな習い事に行っていました。ピアノに習字、料理教室、絵画教室、もう本当にいろいろ、いろいろ。姉が習っている教室に、もれなく私も連れていかれて、親には申し訳ないけれど正直「やらされている」という感覚でいっぱいでした。
当然、どの習い事も長続きせずに3カ月くらいで辞めてしまうことの繰り返し。ピアノは、「おなかが痛い」といってズル休みもしていました。
そんな私が唯一、続けてきたのが水泳です。
きっかけは小学2年生の夏、家族で行った海水浴場で溺れかけたことです。
父がひっぱる小さなゴムボートに乗った私は大はしゃぎ。南紀白浜のきれいな海を見ていたら、泳げないくせに飛び込みたくなって、ジャブンと飛び込んじゃった!
でも、まだ大丈夫。浮き輪のおかげでぷかぷか浮いていたわけですが、さらにはしゃいだ私はバンザイと両手を挙げてしまった。これでぶくぶく…!
ところが、必死に海面から顔を出そうとしていた私が見たのは、腕組みして笑っている父の姿。パニックになってバタバタもがいていた私には、父が助けてくれるまでの時間がものすごく長く感じました。
お父さんの笑顔がくれたもの
「なんですぐに助けてくれなかったの!」と文句を言うと、父は「トモ(私のこと)が泳いでいると思ってうれしかったよー!」とあっけらかん。
でも、あの父の笑顔が、溺れかけた怖さを忘れさせてくれたのかな、と思います。
「綺麗に泳げるようになって、お父さんをびっくりさせたい」という気持ちのほうが強くなったんです。
自分が親になってみると、あのときの父の対応を見習おう、と思うことがよくあります。子どもはときに危険なことや冒険的なことにもチャレンジします。大人がパッと助けられる範囲の挑戦ならば、失敗したり、少しばかり痛い思いをしても、あまり大袈裟にしないこと。
大人が「大丈夫?痛かったね!こわかったね!」と過剰に心配すると、子どもの心には「いけないことをしてしまった」という恐怖心や、「僕には○○はできないんだ」という先入観が植え付けられてしまうこともあるのではないか、と思うんです。
あのときは笑っている父に腹も立ちましたが、水泳を始めるきっかけを作ってくれたことにも、そして子どもを見守る姿勢を教えてくれたことにも、感謝しています。
言葉の力が頑張る後押しに
さて、負けん気から「水泳を習いたい」と言い出した小2の私ですが、母は猛反対。これまでどんな習い事も長続きしなかったし、ピアノのようにコツコツ練習するのも好きではない。どうせ今回もすぐ辞めてしまうだろう、と思われても仕方がないですよね。
でも、渋る母を説得してくれたのも、父でした。
「トモが初めて自分からやりたいと言ったんだから、やらせてみようよ」と。
そして、私に対しては「やると決めたなら、最後までやり抜きなさいよ」と言ったんです。
当時の日記を見返すと、クレヨンで「やるときめたら、さいごまでやる!」と大きく書いてあって、幼いながらに父の言葉が響いたんだな、と思います。
私は、夢や目標は途中で変わってもいいと思うし、向いていないと思ったり、もっと別にやりたいことが見つかったなら方向転換をすることも大事だと思っています。
でも、好きなことが見つかったなら、精一杯やり抜くことって、とても大切。
引退を決めた最後の大会で、父が私に「水泳をやってきてくれてありがとう」と言ってくれたことは、私にとっての宝物です。
弱さを認めて、強くなる
どんなスポーツでも、どこかで絶対に壁にぶつかります。これはスポーツに限らず、ほかの習い事や勉強でもそうかもしれません。
私のスランプは、中学3年生のとき。
背泳ぎで当時の日本歴代2位のタイムを出し、翌年に迫ったアトランタ五輪の出場を期待されて、完全に調子に乗りました。
天狗になって、コーチに反抗して、練習もちゃんとしない。こんなことでは、オリンピックになんて行けるはずもないですよね。タイムも伸び悩み、アトランタ五輪の切符を逃したばかりか、そこから4年間も自己ベストが出ない苦しい時期に突入しました。
その壁を乗り越えられたのは、弱い自分も認めて、受け入れられたことが大きかったと思います。
コーチから「自分が思っていることを全部言ってごらん」と言われたとき、強がっていた自分がくずれて、すべてさらけ出せるようになったんです。
「オリンピック出場を期待されていたのに、行けなかった自分がものすごくみじめで情けないです」
「人にどう思われているか、こわいです」
「頑張りたいけれど、自信がないんです」
そのとき、コーチが「チャレンジしたんだから、かっこ悪いことなんてない、かっこいいじゃん」と言ってくれて、それまでの葛藤が吹っ切れました。
子どもが「はしご」を見つけるためのヒントをあげて
自分の弱さを認めるって苦しいけれど、弱い自分も受け入れて誰かに助けを求めると、そこから道が開けることはたくさんあります。
壁にぶつかったとき、子どもたちはまだ経験もないし、ものすごく視野が狭くなってしまいがち。自分だけに頼って、弱みを見せまいと周囲をシャットアウトしてしまう。でも、どんなに高い壁であっても、実はあちこちにはしごがたくさんかかっていて、それに気づければ一歩ずつ登っていけるものだと思うんです。
はしごに気づくためには、視野を広げることが大切。本を読んだり、テレビを見たり、ラジオを聞いたり、親や先生、友達に話をしたり、一見関係なさそうなところにもたくさんのヒントが転がっていると思うんです。
私の場合は、コーチが「背泳ぎにこだわらず、4種目の個人メドレーもやってみたら?」と言ってくれたことが、スランプ脱出の大きな一歩に。4種目を泳ぐので体力もつき、個人メドレーの記録が伸びるのに引っ張られて、背泳ぎのタイムも復活してきました。そして4年後、個人メドレーと背泳ぎの2種目で念願のシドニー五輪へ。
周りの大人たちにいろんな道を作ってもらったことは、本当にありがたかったな、と今振り返っても思います。
子どもが悩んでいるとき、ほかの選択肢もあること、一本道ばかりではなく、回り道をしながら行く方法もあることを伝えてあげるのは、視野の広い大人だからこそできるサポートですね。はしごを無理やり登らせるのではなく、はしごに気づくための小さなきっかけづくりができたらいいのかな、と思います。
萩原智子(はぎわら・ともこ)●1980年生まれ。2000年のシドニー五輪で競泳日本代表として2種に出場し、入賞。現在はスポーツアドバイザーとして、スポーツ団体等の役員を務めながら、萩原智子杯水泳競技大会の開催やメディア出演、講演活動等を行う。一児の母。初の原作絵本『ぺんぎんゆうゆ よるのすいえいたいかい』も発売中。
撮影/目黒-meguro.8- ヘア&メイク/山下光理 取材・文/浦上藍子
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