児童虐待の数は年々増加。平成27年度には、表面化しているものだけで10万件を超えています。そのうち、実母による虐待が52%と半数以上。次いで実父が34%。虐待の86%が、実の両親によるものです(平成26年度の数値)。
「虐待は、決して特別な性質の人や、特別な環境にある家庭だけに起こる問題ではありません。もしも『私の叱り方って、ちょっと虐待ちっくかも』と思うことがあるとすれば、かなりの確率で虐待領域に抵触しているかもしれません」と、子どもの発達を専門とするお茶の水女子大学・菅原ますみ先生は警告します。
少しだけ想像してみてください。同じ行為を、親しい友人にできますか? 同じ言葉を同じような口調で、職場の同僚に対して言えますか?
「そんなことをしたら、人格を疑われるかもしれない」と思うのであれば、それは相手が誰であれ、「人に対して、してはいけない言動」なのです。子どもに対しての「してはいけない言動」を「虐待」と言います。
虐待って、そもそもどんなこと?
虐待とは、大きく分けると以下の4つに分類されます。
①身体的虐待……子どもの体を傷つけるような暴力(なぐる・ける・やけどをさせる)、命に関わる行為(投げ落とす・首をしめる・炎天下に放置する)など。
②心理的虐待……暴言、おどし、拒絶、無視、ほかのきょうだいとの激しい差別、子どもに夫婦間の暴力を見せることなど。
③ネグレクト……食事を与えない、不潔な衣類を着せる、不衛生な環境で生活させる、家に閉じ込める、自動車の中に置き去りにする、など。
④性的虐待……子どもとの性交、性的な暴力。性器や性的な行為を見せる、など。
「虐待」を英語では「Child Abuse」といいます。直訳すると「子どもの濫用」。つまり、子どもを適切に扱わないこと、あるいは「親の権力の濫用」と言い換えれば、虐待はどの親にとっても決して遠い場所にあるわけではないと実感していただけるのではないでしょうか。
愛情があっても、だめなものはだめなのです
虐待を受けてしまうと、子どもは健全に成長することができなくなります。犯罪者の多くが、子ども時代に虐待を受けていたことを示す調査もあります。
この記事を読んでいる人たちは、一生懸命子育てをしている人たちだと思います。わが子を心から大切に感じ、自分の命を投げ捨ててでもわが子を守りたいと思うほど、深い愛情を持っているはずです。でも、愛情の有無にかかわらず、現代の子育ては虐待の方向に進みやすい環境下にあることもまた、確かなのです。
極端なまでの少子化により、わが子が生まれるまで、日常的に子どものお世話を経験してきたことがないというお母さんは半数以上に上ります。小さな子が身近にいないせいで、「子どもの本質」を知らずに親になってしまうのです。
子どもの本質というと、「無邪気で素直でかわいく、そこにいるだけで家族を幸せにしてくれる存在」というプラスのイメージがあると思いますが、そればかりではありません。
赤ちゃん期は、恐ろしいほどに手がかかり、親を24時間しばりつける存在でもあります。そしてようやく話したり歩いたりできるようになると、今度は自己主張が激しくなり、場をわきまえない行動をとり、気に入らないことがあると泣き叫ぶようにもなります。しかも、親がどんなに疲れていても体調が悪くてもおかまいなし。一緒に暮らす相手としてとても理不尽な存在だということです。
「たたく・怒鳴る」は、虐待と地続きです
実際には、成長にともなって問題行動の多くが消えることは確かなのですが、幼い子どもを身近で見たことがない人は、とてもそうは思えません。
なかでも、衝動的に動く子、素直に親の言うことを聞けない子、かんしゃくの激しい子、ぐずぐずとよく泣く子などはとくに扱いにくく、そのしつけにとても苦労するものです。親としてはこのまま大きくなったらどうしよう、と不安にもなるでしょう。
その結果として、「たたく」「どなる」という手法が使われがちです。それは即効性があり、子どもを言いなりにさせる簡単な手法だからです。
よく「パチンと頭をたたくのも虐待ですか?」「親が大声を出すだけで心理的虐待なのでしょうか」と聞かれることがあります。正直なところ、「そのくらいは許してほしい」と思う親の気持ちはとてもよくわかりますし、実際その程度で「虐待」とは言えないでしょう。でも、感情を爆発させるような叱り方が、虐待と地続きにあることは確かなのです。
まず言えるのは、「たたく」「どなる」は習慣化しやすいということ。子どもが思うように動いてくれないとき、親の怒りやイライラは、体の芯からわき上がってきます。これは激しいストレスです。それが子どもをたたいたりどなったりすると、瞬間的にすっきりするのです。強いストレスから解放される快感が、そこにはあります。
多くの人はあとになって「あんなふうに怒らなきゃよかった」と後悔するのですが、同じ場面になるとまた同じことをしてしまいます。快感や開放感があるから、習慣化しやすいのです。
何回どなっても改善しないのは、伝わらないから
習慣化するもう一つの理由は、たたかれてもどなられても、子どもは常に同じことを繰り返すからです。「毎日毎日同じことでどなっている」と嘆いている人は少なくないはずです。なぜそうなるのでしょう? それは、「たたく」「どなる」というしつけの方法にはあまり効果がないからなのです。
激しく叱られると、子どもはその場では言うことを聞きます。泣いてあやまることも多いでしょう。でも、それは怖いからです。「なぜ叱られたのか」「今後はどうすればいいのか」を本当の意味では理解していません。とりあえずその場の親の怒りが回避されればひと安心で、場面が変わればまた繰り返してしまうのです。
また、痛みや恐怖には少しずつ慣れてきます。たたかれるのに慣れてくると、「言葉で言われているうちはまだ大丈夫」と思いますし、多少の痛みであれば反抗するようになってきます。
そのため親も、どんどん叱り方が激しくなります。最初はパチンとたたくだけだったのが、ビンタになり、けりになり、家から閉め出すようになり……徐々に虐待ゾーンに入っていくのです。
感情的な親は、子どもの中での地位が下がります
どんなにたたいてもどなっても、子どもの行動が変わらないのにはもうひとつ理由があります。子どもの中で親の地位が下がってくるからです。
それは「ママが嫌い」「パパを軽蔑している」というのではありません。子どもはたとえどんな親であったとしても、親を心から愛しています。たたく親でも、どなる親でも、子どもは親が大好きです。ママが笑顔を向けてくれるだけでさっきの鬼の形相を忘れて、優しいママにイメージを更新するのです。
でも、信頼感は薄れます。親としての地位は下がるのです。とくに年齢が上がれば上がるほど、子どもが客観的な視点を持てば持つほど、親としての地位は下がります。どんどん言うことを聞かなくなるのです。
虐待もどきの中で育つ子は、反社会的になる!
話が少し飛びますが、私は発達精神病理学を専門としている研究者です。子どものメンタルヘルス(精神面での健康)を健全に保つために、親や家族や社会がどう関わっていけばいいかを中心に研究しています。
言い方を変えれば、「子どもを犯罪者や引き込もりやうつ病にしないためには、どう育てたらいいの?」ということかもしれません。
答えはまだ明確ではありませんが、遺伝が約50%、育て方が約50%。そしてそれぞれが影響し合っていることがわかっています。
怖い話ですが、罪悪感が希薄で、自分の欲求を優先させるためには他者の人権を軽んじるような遺伝的な素因を持っている子はいます。心の病になりやすい素因を持った子もいます。
でもそれはあくまで「素因」であって、実際に犯罪者や心の病にまで進むには、育て方が関わってくるのです。それが「虐待」あるいは虐待に近い育て方です。そのような育てられ方をしなければ、かんしゃくを起こしやすい性質はそのままでも、法律の範囲内で健全な生活を送る大人に成長することができます。素因があったとしても、犯罪をおかすという結実にまでには至りません。
心の土台の安定感は“非常時”に証明される
「私はちょっとカッとしやすい性格だし、子どもの頃はトラブルメーカーでした。親からもたたかれて育ってきたけれど、犯罪者にも心の病気にもならず、問題なく成長しています。だから、多少はたたいても問題ないのでは?」と言う人もいると思います。そういう人たちを否定するつもりはありません。
ただ、そこにはまた別の条件が関係します。「たたかれて育ったけれど今はハッピー」と言える人たちの多くは、順調に生きている人たちです。勉強ができたり、やりがいを感じる仕事についていたり、友だちに恵まれたり、愛してくれるパートナーを持っていたりします。つまり、失いたくないものをちゃんと持っているのです。そういう人は、反社会的な行動を取ることはあまりありません。
それが死ぬまで続けば問題はありません。でも、人生は予測不可能です。大きなストレスがかかったときに、不安定な子ども時代を過ごしてきた人はとても崩れやすいことがわかっています。
例えるなら、家の土台と同じです。大きな災害にあったとき、被害の大きな家とそうでない家があるのは、その家の土台の強さが少なからず関係します。同様に、人を信頼する心の土台が確実に育っている子は、大きなストレスにさらされたときに強さを発揮するのです。
親の「怒りの理由」に気付くとき、子どもは深く傷つく
また、そのようなストレスにさらされなくても、その子が大人になり、子どもを持ったときに何かが崩れることがあります。幼いわが子のわがままや理不尽さと向き合ったとき、気がつくのです。「私の親は、単にイライラを制御できなかったのだ。その解消のために、私をなぐり、どなったのだ」と。
そんな取り返しのつかない過去に苦しむ人は少数ではありません。なかには自分もまた大きなストレスにさらされたとき、同じように子どもを虐待してしまう人もいます。非常に不幸なことです。
このように、虐待も「虐待もどき」も、決して許されない行為です。
にもかかわらず、そのゾーンとの境界線は、危ういほどに踏み越えやすいもの。幼い子どもを育てている親や子どもの周囲にいる大人はすべて、「しつけ」と「虐待」の明白な違いを意識して、子育てしていただきたいと私は願っています。
文/神 素子
※『その叱り方、問題です!― 「個性診断」でその子に合った「叱り方」がバッチリわかる!』(菅原ますみ著/主婦の友社刊より)
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