なりふりかまわず必死になって当然。その姿はきっと子どもを安心させる
子どもを育てるって本当に大変なこと。髪を振り乱して、自分のことには手が回らなくなって、疲れ果てて寝かしつけながら寝落ちしてしまう日があっても当然ですよね。
でも、「ママに見えない!」「ママなのにきれい」というフレーズがほめ言葉になって、子育て中でも余裕を持つことが求められているようにも見える今。その風潮に追い詰められてしまう人も多いのではないか、と心配になります。
子どもが成人した今になって言うのはズルいかもしれないけれど、私は「もっと必死に楽しめばよかったな」って思うんです。そのほうが、子どもは大きな安心感を得られたのではないかな、と。
必死に向き合うって、それはすごく美しいことでもあります。周囲の目や理想のママ像にフィットしなかったとしても、それを卑下したり、無理に合わせる必要はないはず。
それよりもまぶしい成長を遂げるわが子に必死でいられたら、と思う二十歳の母です。
喪失を埋める方法はクリエイトすること
『うさぎの耳』は喪失から始まる物語ですが、その喪失を埋めていく役割を担うもののひとつが、色とりどりの毛糸で編まれるパペットです。「何も持たない人」の物語を書きたいと思っていた私が、偶然にも出会ったのが小さな手編みの指人形でした。
言葉にできないさみしさを埋めるものは、クリエイトすることではないかとおぼろげながらに考えていたとき、ぽんとあらわれたパペット。思わず語りかけたくなる、語りかけてくれるような気がする。どこかとぼけた表情のパペットを目にしたとき、私の中で物語が動き出しました。
大人になると、面と向かって「友だちになって」と言うのは、気恥ずかしい。でも、「パペットの作り方、教えてください」という言葉なら、すっと口にできるかもしれない。そして、作り出されたものは、きっと会話の橋渡しをしてくれる存在になるでしょう。
自分自身のことを語るのは気が引けても、手を動かして作ったパペットについては屈託なくおしゃべりができる。そんなことって、きっと誰にでもあるのではないかと思います。
それは手芸かもしれないし、写真かもしれないし、誰に見せるわけでもない日記かもしれない。どんなことでも、何か自分から生み出されるもの。
目の前の「モノ」を通して話すほうが、お互いをわかり合える。間に入ってくれるモノに託して、気持ちを伝えられる。それが人間同士なのかな、と思うのです。
美夏は、公園での出会いをきっかけに、自分でも指人形を編み始めます。次々と生まれてくるかわいらしいパペットは、彼女のさみしさを少し埋めてくれるでしょう。そして、個性豊かなパペットたちを通して、二人の女性はさまざまな話をすることになるでしょう。
子育てにはきっとさみしさもつきものだけど、それを分かち合えたり、温めてくれる存在も必ずあるはず。今、目の前の子どもを必死に守っているママにもそんな温もりがありますようにと祈りながら。
谷村志穂●作家。北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部卒業。出版社勤務を経て1990年に発表した『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーに。2003年長編小説『海猫』で島清恋愛文学賞受賞。『余命』『いそぶえ』『大沼ワルツ』『半逆光』などの多くの作品がある。
撮影/中村彰男 スタイリング/福岡邦子 ヘア&メイク/山下光理 取材・文/浦上藍子 衣装協力/トレメッツォ