社会性や世間体より、必死に優先できるものがある強さ
私の子育てを振り返ると、特に娘が幼いときは「ママ友」や「公園デビュー」から離れたところで子育てをしよう、と考えていたことを思い出します。そういう場に身を置くことで、情報の波に飲み込まれてしまうのではないか、とこわかったんですね。
もともといたごく親しい友人と、遠く離れた札幌に住んでいる母。頼れる人は決して多くはなかったけれど、それでも大きな不便はなく娘を育ててこられました。当時の私には、あの選択が必要だったのだと思います。
『うさぎの耳』の主人公の美夏も、うまくママ友の輪に入れなかった人です。夫は不在で、息子の理玖くんは障がいを持っていて、世間的に見れば幸せな育児のイメージとは遠いところにいるかもしれません。
でも彼女は、理玖くんの生命力を前に、無条件で「この子はすごい」と感じる心を持っている。だからこそ彼女には揺るぎないお母さんの強さがある、というふうにも思います。
義母に対して遠慮のない物言いができるのも、「この子を必死に守る」という芯があるから。
社会性の中で子どもを育てていこうとすると、どうしても周囲と調和すること、美夏ならば義母とうまく折り合いをつけることが重要になります。けれど、世間よりも大事なものがあれば、きっと違う選択になるだろう、と思うのです。
まぶしい生命力を信じて、後ろに回って応援できたら
娘が成人した今思うのは、子育てには正解はないということ。そして、子どもには、親の想像を超えるようなたくましい生命力がある、ということ。
38歳で母になったとき、「私はこの子より38年も大人だ」と思っていたけれど、実は親と子は同級生だと思うんです。赤ちゃんが0歳なら、お母さんとしての私も0歳。子育ては同級生同士で始まるんですね。
でも、親にはこれまでの人生で得た経験や情報がたくさんあって、どうしてもそれを子育てに持ち込みたくなる。
「こんな失敗はさせたくない」「もっとこうしたらうまくいく」。
でも、前に出て引っ張っていく、という気持ちは間違いだったかもしれません。娘の手を引いて導こうとしたときほど、娘を傷つけていた、と後から反省したことも少なくありません。
親は、まぶしい生命力をただ後ろに回って応援できるようになればいい。押さえつけるのをやめれば、子どもが本来持っている資質が伸びやかに育っていく。
それに気づくのが遅かったことが、私の子育ての反省です。
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