コラム

OK!バブリー!!今考えたらありえないバブル時代の“当たり前”って?

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OK!バブリー!!今考えたらありえないバブル時代の“当たり前”って?

来年の春にはいよいよ平成の終わりを迎えますが、バブル時代というと昭和後期から平成に渡って起きた好景気の時期。

そんな景気からは程遠い今では『ダンシングヒーロー』の曲をバックに登美丘高校ダンス部が披露したバブリーダンスが話題になって、現実離れした容姿からバブル時代を知らない年代をも巻き込み今やエンターテインメントと化していますよね。

バブル当時は、まさに芸人・平野ノラさんのような恰好が当たり前、それがむしろ女性の象徴というように流行していた時代。派手さは服装にとどまらず、お金の羽振りも相当よかったようで…。

そこで今回、当時、バブルを経験した一般女性100人にアンケートを実施。今ではありえない!バブル時代の当たり前を聞きました。

やっぱりバブルの象徴は、肩パットやボディコン!

「30年位前、平野ノラさんが着ているようなボティコン風スーツを着て毎週ディスコに行っていました」(専業主婦/51歳)

「バブル時代私はまだ子供でしたが、街ゆく女性は肩パッドがゴツイ服を着ていました。現代では体の線を細く見せる服が多いと思うので、今考えると衝撃的です」(正社員/27歳)

「ヘアスタイルはワンレンで、肩パッド入りのスーツは当たり前だった。しかもスーツの色もピンクや黄色など派手め。そんな服を着ていると、自分が大人の女性になった気がしてやめられなかった」(パート・アルバイト/50歳)

「流石にボディコンはきませんでしたが、肩パットがすごかった。あとメイクも超細眉に額に並べた謎の前髪のスタイル維持のためだけに、くるくるドライヤーをどこにでも持ち歩いていました」(専業主婦/39歳)

「当時当たり前だったボディコンスタイルは今見るとイベント時の衣装のようで、とても面白い恰好に見えてしまう」(専業主婦/37歳)

「ワンレンボディコン、分厚い肩パッドのジャケット。流行は循環するというけど、バブル時代の服装は二度と復活しない気がする。なぜあんなのを恥ずかしげもなく着ていたのか謎」(正社員/43歳)

「衣装ですね。ボディコン衣装を今見ると、恥ずかしく思ったりします。子どもたちに『何この衣装?』と言われ時代を感じます」(正社員/49歳)

当時着ていた人さえも、今見ると面白く見えてしまうとコメントしてしまうほど今では考えられない恰好。どうしてあれが流行していたのかと考えると回答にもあった「大人の女性になった気がしてやめられなかった」というのが代表的な答えのようにも思えますね。

いかに派手にするか!ゴンドラで登場は当たり前な結婚式

「ホテルでの豪華な結婚式。100~200人の招待客や3回以上のお色直しは定番で、ゴンドラに乗っての登場など一般人でも普通にやっていた。友人の結婚式にはカラフルなボディコンスーツで出席していた」(パート・アルバイト/50歳)

「結婚式でお色直しを5回もする人がいたと聞きました。びっくりです」(派遣社員/29歳)

「かなり派手な結婚式。ゴンドラで入場とか恥ずかしくてできない」(パート・アルバイト/30歳)

レストランウェディングやフォトウェディングが主流の今では、考えられない豪華すぎる結婚式。参列者もド派手だったよう。それにしても、ゴンドラの入場なんて冷静に考えるとハチャメチャな演出って誰が最初にはじめたのでしょう。

ポロリは恒例⁈ 過激だったテレビ番組

「その頃、小学6~中学1年生の時期で『ザ・ベストテン』が印象的。光GENJIが爆発的人気だった。とんねるずの何でもありな時代も今じゃ、考えられない」(専業主婦/40歳)

「子どもの頃の記憶ですが、セットもお金かかってそうで、クイズ番組等の視聴者プレゼントの豪華さは凄かったです。高級車や海外旅行プレゼントなんて、ざらでしたね」(専業主婦/29歳)

「女性の胸が丸見えだったり、内容的に暴力的だったりしたけど昔の方が面白かったです」(専業主婦/39歳)

「昔のバラエティ番組は爆発の威力が凄すぎて危険があるものが多かったけど面白かった」(専業主婦/39歳)

放送事故として取り扱われそうなものでも、当時は何でもありだったテレビ番組。過激なものが無理になった今の時代で人気のゴールデン番組と言えば、マツコ・デラックスさんをはじめとする本音を包み隠さないトーク番組の主流になっていて、テレビ番組でさえ時代の流れを感じます。

選び放題&交通費支給で儲かった⁈ 幸せすぎる就職活動

「高卒、どんな大卒でも悩まず就職先が見つかる。受ければ内定がもらえて、その中から選ぶ余裕すらあった」(専業主婦/37歳)

「兄の話。大学卒業に向けて、就職活動をしている時、会社の面接を受け、帰宅する前に、採用の連絡がたくさん来ていました。完全にお客様状態で、会社説明会に行っても、手土産をもらって帰ってくる状態。数年後、バブル崩壊後の私の就職活動とは大違いです」(パート・アルバイト/46歳)

「就職活動において面接や試験の度、交通費支給は当たり前。企業側からごちそうしてもらうのも当たり前。内定をもらったら他の企業に行かれないために豪華ホテルで食事・宿泊という名の軟禁状態にされることは当たり前でした」(パート・アルバイト/47歳)

「就職活動中に、内定をいただいた企業さんを訪問したときに、フレンチのフルコースをご馳走になりました。結局、ジュース1杯のみいただいた他社さんに就職を決めましたが」(専業主婦/50歳)

「就職は完全に売り手市場で、企業説明会なども交通費支給が当たり前でした。上京して何社も回った知人は『全社から交通費貰えてがっぽり儲かった』と言ってました」(パート・アルバイト/53歳)

氷河期が過ぎた今、「売り手市場」といわれていますが、内定先の選び放題は夢のまた夢、大きすぎるギャップがここにも。ここまでとは言わず、1社も受からない…という問題が解消されてほしいものですね。

海外旅行が当たり前⁈ 羨ましすぎる会社の給与・待遇

「残業代など細やかにつけていただいてました。サービス残業がなかった」(専業主婦/47歳)

「給料・ボーナスがよくて自動車免許を取ってすぐに新車が買えました」(専業主婦/45歳)

「一般職でもボーナスは3桁近くでる企業もあり、福利厚生も充実していて社員旅行は海外が当たり前だった」(専業主婦/38歳)

「短大卒業後、入社した会社で初めてのボーナスが30万円で、3年勤務したときの退職金が150万円。今では考えられませんが昭和62年のことです」(個人事業主・フリーランス/51歳)

「私がとある企業に入社したのは1990年。その時の仕事はお茶くみと銀行への出入金が主な仕事でした。毎日同僚とおしゃべりして、事務仕事等もあまりせず…今考えると、ほとんど仕事らしい仕事をしていなかったのに給料をもらえていた気がします」(専業主婦/49歳)

「父の協力会社主催の旅行は毎年海外旅行。カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・ヨーロッパ等々。父の会社の慰安旅行は台湾だった。家族同行で参加したのは、九州から東京ディズニーランドご招待旅行。費用はすべて協力会社負担。東京ベイホテル東急3泊4日。ビンゴ大会の賞金は旅行券100万円、大型テレビ等々」(専業主婦/42歳)

就職後でさえも大きなギャップが…。今の時代、ボーナスや退職金がない会社は多く存在し、安月給でサービス残業はよく聞く話。当時は、一般職でもボーナスが3桁で社員旅行は海外が当たり前だったよう。あまりの待遇の差に「羨ましい」のひと言!

飲み会は、タクシーチケットで帰るのが当たり前!

「寝坊したときなど、ちょっとしたことでタクシーを使っていました。そのため、終電過ぎても平気で飲み歩いていました」(専業主婦/48歳)

「飲み会の帰りはいつもタクシーでした。タクシー券はばらまき状態でした。会社の飲み会で上司がそれぞれくれるので飲み会でないときも使ってました。チェックもザルでした。今では考えられません」(派遣社員/48歳)

「短い距離でもタクシーを利用していました。おつりはいらないといったこともあります。会社での飲み会があって遅くなると、タクシーチケットが配布されて帰宅することが出来た」(専業主婦/49歳)

「飲み会で支払ったことがないです。飲み会はタクシーで帰るのは当たり前。タクシーチケットをもらって電車はまだあるのにタクシーチケットで帰ってました。金額だと1万円は超えるぐらいです」(専業主婦/39歳)

タクシーは贅沢というイメージですが、当時は電車やバスと同じ感覚でタクシーを利用していたようで…。しかも会社が負担してくれるなんて、すごすぎます。そもそも「タクシーチケット」という言葉を今の20代は特に初めて聞く人が多いのでは…?

高校生でもつけ払いOK⁈ お店のサービス

「たかが、高校生だったのに店長がつけ払いをOKしてくれていた。毎月バイト代が出る度に支払っていたけれど、今では考えられません」(専業主婦/43歳)

「年齢的にもチャラついた年頃だったからってこともあるでしょうが、友人と食事に行った先で、二言三言話しただけの隣にいたおじ様方が支払いを済ませてくださった上に車代まで置いていってくださったことがある。そこまでじゃなくとも、驕られても気にならない状況は多かった」(専業主婦/48歳)

「当時は女子大生でしたが、食事や飲み会に参加したときに、自分で支払いをしたことがありませんでした。男子学生や社会人の男性が払ってくれていました」(専業主婦/53歳)

「当時の支払いは、男の人が全額おごるのが普通でした。だから男性と一緒の時割り勘したこともありません。カード払いもなかったのでお札でふくらんだ財布を持っている人が多かったです。小銭のおつりも貰わない男性も珍しくなかったです」(専業主婦/55歳)

「カップル来店で女性は無料、女性のみデザート無料、誕生日にお店に行くとシャンパンとホールケーキをプレゼント、来店回数のスタンプカードがあり回数によって温泉旅行や海外旅行プレゼント」(専業主婦/48歳)

当時は、「お金がなくなる」という概念がすっぽり抜けたかのような羽振りの良さ。スタンプを集めれば、温泉旅行や海外旅行プレゼントって何か騙されているのではないかと疑ってしまうレベル。バブル時代の代表格ともいえる「おつりはいらないよ」という言葉も、今では逆にお金の管理を心配されてしまうかも…。

園児に1万円…バブリーお年玉

「保育園児なのに、お年玉1万円が普通だった。お正月にたまたま会った親戚や家族の友人にも頂くこともあった。お年玉だけで月の給料近くはあった気が」(専業主婦/32歳)

「私が幼少時代、バブル絶頂期だったのですが、親の知り合いの方よりお小遣いとして会うたびに1万札を貰っていました」(専業主婦/40歳)

「お年玉は、万札が飛び交ってました。お年玉だけで、某日本橋のデパートで振袖が買えました」(専業主婦/41歳)

今となっては親戚からも、もらえるかちょっと怪しいお年玉。当時は家族の友人でも1万円を渡す方が多く、10人に会ったら10万円も当たり前のように集まったようで…。

このほかにも「一円玉や五円玉をお金と見なさず、財布の中に入れてすらいなかったことです。『募金箱に捨てる』という言い方が流行っていました」「就職は短大卒業の人にも門戸が広い時代だったので、アナウンサーや銀行職員の内定も取ることができました。バブル時代は緩やかで人と争わないでも過ごせた時代でした」という声も。

思わず「バブル時代に戻りたーい!」と口からこぼれてしまうようなバブル時代のエピソードばかり。世知辛い今だからこそ肩パットなどド派手な衣装を我慢してでも、バブル時代にタイムスリップしてみたいですね。

※暮らしニスタ編集部が一般女性100人を対象に行ったアンケート調査より

 

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