2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』で注目される豊臣秀長。「彼がいなければ秀吉は天下を取れなかった」とまで言われる、日本史上最高のナンバー2とはどんな人物だったのか?戦国時代を知り尽くした歴史系YouTuber・ミスター武士道の独自視点で、大河ドラマでは語られない豊臣秀長のリアルを紐解きます!
これは豊臣秀長の物語
豊臣秀長の家族構成は?
豊臣秀長を知る上で、まずはその家族構成からお話ししましょう。
兄・秀吉は、これはもう説明する必要はないほどの有名人ですね。戦国一の出世頭、織田信長の天下一統事業を継承し、日本史上最も低い身分から天下人となった傑物です。
秀吉は天文六年(1537)生まれ、秀長は天文九年(1540)生まれと考えられているので、秀長は秀吉の3歳年下の弟にあたります。秀長はこの兄の出世とともに、時代の表舞台に立って行くことになります。
ちなみに、秀長の生まれ年については天文十年説(『多聞院日記』)もありますが、秀長自筆の史料による天文九年生まれ説を採用させていただきます。
母親は「なか」?21歳の時に秀吉、24歳の時に秀長を産んだ
母親は「天瑞院殿(てんずいいんどの)」「大政所(おおまんどころ)」、ドラマや小説では「なか」と呼ばれることが多い人物です。
実際に「なか」という名前だったかは当時の史料からはわかりません。本当の名前がわからないので、天瑞院殿と呼ぶことにしたいところですが、親しみを持ちにくいので、一般的に広く知れ渡っている「なか」を通称として使わせてください。
なかの出自についてもほとんどわかりませんが、青木家(秀吉・秀長らの従兄弟の家)に伝わるという系図によると、愛知郡・関弥五郎(せきやごろう)の娘だといわれています。
もしこの系図の情報が正しければ、なかは名字を名乗れるほどの有力百姓の生まれということになります。
永正十四年(1517)生まれで、21歳の時に秀吉、24歳の時に秀長を産んだと考えられます。秀吉が天下人となるのを見届け、天正二十年(1592)に74歳で死去しています(年齢はいずれも数え年)。
姉は「とも」?94歳まで生きた女性
姉の「瑞龍院殿(ずいりゅういんどの)」も本名はわかっておらず、通称では「とも」とされています。こちらも本当の名前ではないかもしれませんが、使用させていただきます。
生まれは天文元年(1532)と考えられています。きょうだいの中では最も年上で、94歳まで生きた長寿の女性です。非業の死を遂げた関白・豊臣秀次の母親でもあります。
妹は秀長の3歳年下の「朝日」
妹の「朝日(または旭)」は、徳川家康に嫁いだことで、江戸幕府の史料に「朝日姫」としてその名前が残っています。天文十二年(1543)生まれですから、秀長の3歳年下となります。
母、姉はともに当時としては長寿ですが、朝日は48歳で亡くなっています。
家康と豊臣家の縁をつなぐ存在だっただけに、彼女がもっと長生きしていれば、もしかしたら歴史は大きく変わったのではないかと考えずにはいられない人物です。
▶次の話 豊臣秀長の「父の謎」。史料から探る、秀吉と秀長の父は誰だったのか?【ミスター武士道の大河読み】
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