兵庫県赤穂市へ「オリジナル天日塩」の採塩に訪れた、暮らしニスタ編集部。絶景の海を望むカフェ「AMAMI TERRACE」でのランチや、室温60℃のハウスでの採塩体験をお届けした前編に続き、後編はいよいよ赤穂化成の広大な工場見学へ潜入します。
普段スーパーで見かける「赤穂の天塩」に隠された誕生秘話から、料理がおいしくなる塩の食べ比べ、知られざる海洋深層水&にがりのパワー、そして塩の街で約150年の歴史を持つ幻の手織り絨毯「赤穂緞通(あこうだんつう)」の工房見学まで。
塩を入り口に、食や水、そして土地に根づく手仕事へ。赤穂の奥深い魅力に触れた、発見いっぱいの後編レポートをお届けします。
赤穂の塩づくりを支えてきた、土地と人の歴史
採塩体験を終えた編集部が、続いて案内していただいたのは、赤穂化成本社にある工場です。
赤穂の塩づくりの歴史は古く、奈良時代の756年には、現在の赤穂周辺の製塩地が東大寺へ寄進された記録が残るほど。江戸時代の1626年からは、温暖で雨が少なく遠浅な地形を活かして大規模な「入浜式塩田」が開拓され、千種(ちくさ)川を挟んで東浜と西浜に塩田が広がっていきました。
工場を案内していただきながら、赤穂化成の野中さんがとても興味深い歴史を教えてくれました。
「実は江戸時代、東浜と西浜で作るお塩は使い分けられていたんです。東浜で作られていたのは、にがりを多く含むしっかりとした塩味のお塩。こちらは船で江戸へ運ばれました。カツオだしと濃口醤油を好む江戸の食文化には、だしの風味に負けない力強いお塩がぴったりだったんですね。
一方、西浜で作られたにがりの少ないまろやかな塩は、昆布だしと薄口醤油を愛する上方(大阪・京都・兵庫)で親しまれました。昔の人も、だしの特徴やお料理に合わせてお塩を選んでいたんですよ」
昔から、地域の食文化やだしに合わせて塩が作り分けられていたという事実に、思わず深く聞き入ってしまいます。
写真:枝条架(しじょうか)のミニチュア模型
塩づくりの基本は、海水を濃縮してから結晶化させること。昭和20年代後半から普及した「流下式塩田」では、竹箒を積み重ねたような巨大な枝条架(しじょうか)に海水を繰り返し流し、太陽と風の力で水分を蒸発させて濃い海水(かん水)を作っていました。
最初から海水をそのまま煮詰めるのではなく、自然の力で濃縮してから平釜で炊き上げることで、使う燃料を大幅に抑える。そこには先人たちの素晴らしい知恵が詰まっていたのです。
おなじみ「赤穂の天塩」は、主婦たちの声から生まれた
ところが1971年から72年にかけて行われた国の塩業整備により、従来の塩田による製塩は姿を消し、電気の力を利用して海水を濃縮する『イオン交換膜法』へと転換。市場にはにがりを含まない精製塩ばかりが並ぶようになりました。
すると、全国の主婦たちの間で疑問と不安の声が上がったのです。「昔ながらのにがりを含んだお塩を取り戻したい」と立ち上がった主婦たちによる自然塩運動は、やがて国を動かし、特例として誕生したのが、今やスーパーでおなじみの「赤穂の天塩」でした。
当時は日本の海水を使った塩の製造・販売には厳しい制約があったため、海外の天日塩を原料として採用。そこに伝統の赤穂東浜塩田に伝わるにがりを合わせる「差塩(さしじお)製法」で、昔ながらのミネラルを含んだ塩を蘇らせたのです。
実は、スーパーでいつも見慣れているあの袋の向こうに、家族の健康や食卓の味を守ろうと声を上げた人たちと、メーカーの情熱があったんですね。
お豆腐からマスカラまで。塩から広がる赤穂化成のものづくり
工場を見学してもうひとつ驚いたのが、赤穂化成が手がける製品の意外な幅広さでした。
「私たちは塩の会社として知られていますが、実は塩づくりの過程で生まれる“ミネラル”を核にした総合メーカーなんです」と野中さん。
たとえば、塩を結晶化させたあとに残る「にがり」。主成分である塩化マグネシウムは国内トップシェアを誇り、全国のお豆腐屋さんの「大豆の甘みを引き出したい」「つるんとなめらかにしたい」といったこだわりに合わせたオーダーメイドの凝固剤を作っているのだそう。
さらに見渡すと、
・学校のグラウンドに撒いて砂ぼこりを抑える防塵剤
・冬の道路凍結を防ぐ凍結防止剤
・病院で使われる人工透析などの医薬品原料
・高温加熱設備を応用して作られる漆黒の顔料「チタンブラック」(マスカラなどの化粧品原料)
・入浴剤として大人気のエプソムソルト(硫酸マグネシウム)
など、「これも赤穂化成さんで作っているの!?」と目を見張るほど多彩な製品がずらり。食卓の塩だけでなく、私たちの暮らしや美容の身近なところで赤穂のものづくりが息づいていました。
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