2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』で注目される豊臣秀長。「彼がいなければ秀吉は天下を取れなかった」とまで言われる、日本史上最高のナンバー2とはどんな人物だったのか?戦国時代を知り尽くした歴史系YouTuber・ミスター武士道の独自視点で、大河ドラマでは語られない豊臣秀長のリアルを紐解きます!
賤ヶ岳の戦い
「弌剣平天下」信孝が隠さなくなった天下への野心
信孝は、『弌剣平天下』の印判を使い始めます。これは剣一振りで天下を平らげるという意味で、父・信長の『天下布武』を意識したものでしょう。天下人への野心を隠すこともなくなりました。
柴田勝家は、信雄・秀吉陣営に対抗するため、滝川一益や中国の毛利氏、四国の長宗我部氏、石山本願寺、足利義昭らとの連携を模索しますが、彼らは同時に秀吉とも通じており、状況は一触即発でした。
秀長が立たされた最前線。佐和山城という要地
そんな中、秀長は佐和山城の守備につきます。この場所は、柴田領となった長浜城と、信孝の居城・岐阜城をにらむ要地であり、京都への侵攻を阻む前線基地でもありました。信孝陣営に対する最重要拠点を、秀長は任されていたわけです。
佐和山城を秀長に任せた秀吉は、美濃へ出陣し信孝を威圧します。この時、信孝は秀吉に頭を下げたようです。
続いて秀吉は、北伊勢の滝川一益を攻め、この戦いには秀長も参戦しました。滝川一益は柴田勝家に援軍を要請し、天正十一年(1583)四月、賤ヶ岳の戦いが始まります。
賤ヶ岳、決着の時。兄弟の天下が動き出す
こうした情勢の中、織田家の幼主・三法師を巡り政治的駆け引きが繰り広げられます。
秀吉は早急に三法師を織田家の本拠地である安土城へ移動させることを主張しますが、三法師を預かる信孝と勝家は安土城修復を待って移動させるべきと主張しました。
そこで、秀吉・長秀・恒興らは織田信雄を、三法師の名代に擁立することを決定してしまうんですね。
三法師を手放さずに実質名代として振る舞う信孝、会議でのルールを破って名代となった信雄……どっちもどっちですが、こうなったからには戦うほかありません。
ついに信孝・柴田勝家陣営、信雄・羽柴秀吉陣営が織田家の主導権を争う戦いを始めます。
▶次の話 「内通した罪、許さぬ!」羽柴家が織田家を超えた日【ミスター武士道の大河読み】
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