◀初めから読む 母子の部屋は、一階にあるその角部屋である|うさぎの耳〈第一話〉
同期が丸テーブルの中央に、視線を寄せている。
スーツに身を包んだOBも、ブラウスやワンピースを着たOGも、学生時代は交代で部馬の世話を続けた仲間たちだ。
馬術競技会の主力選手だったのは、同年代では二人しかいなくて、彼らは今はどちらも海外にいる。今日は、どちらかというと補欠要員だった顔ぶれが、集っていた。
「高山って、考えてみたら不思議な奴だったよな」と、山喜田が大きな手を額に当てて言う。
「だけどあいつ、本当に馬が好きだったでしょ。俺、何度も当番変わってもらったもん」
細身の野本が、静かな声でそう話す。
「美夏ちゃんと高山は、二人で当番デートしてたからね」
家業である仏具店を継いだ白坂は、今も独身だそうだ。
まるで隆也を故人として偲ぶような話になっていくのに戸惑っていると、美咲が言った。
「そういう話をしている場合じゃないよ。美夏、せめて手がかりはないかな?よく行きたがってた場所とか、いつも見ていた写真集があったとか」
男子たちもそういえばそうだとばかりに頷く。偲ぶのではなく、探そうとしていたのだというふうに。
「SNSで拡散させるってのは、今後のことを考えるとリスクはある気はするけどね」
美咲は、仕事において優秀なのだろうと思わせた。
「高山家の方は、それで大丈夫なの?」
由希奈が案ずる。
「大丈夫ではないと思うけど、もういいんだ」
と、開き直ってしまう口調は学生時代からだったらしく、美咲の隣にいた、クォーターのレラが笑った。
「でた。美夏ってよく、部で問題が起きると、それ、どうでもよくない?って言ってたの、思い出しちゃったよ」
「まあ、部員同士の問題なんかじゃなくて、馬を中心に考えるべきだってことだったんだろうけどね」
と、美咲がうまくまとめてくれる。
母乳が溜まって胸が張り始めた。いつもなら、もうじき、風呂上がりの理玖が力いっぱい吸い上げてくれる時間だった。赤い唇の柔らかい感触を思い出すと、ワンピースから滲み出してきたのが自分でも、わかった。胸パッドでは、収まらなかった。
「美夏、よかったらこれ使って」
由希奈がバッグから薄手のピンクのスカーフを出して、手渡してくれる。
「汚れちゃうんじゃないかな」
「だって、どうでもよくない?」
と、笑う。
この顔ぶれの中で過ごしていた学生時代、隆也と自分は、二人とも特別目立った存在ではなかったはずだ。
二人でよく当番をして、馬小屋で朝を迎えたのも事実だった。
隆也は、考えてみるなら人嫌いで、口数も少なかった。けれど、他者にすべての扉を閉ざしていたわけではなかった。例えばここにいたとしても、きっと時々笑いながらみんなの話は聞いていたと思う。学生時代なら、夜にもう一度馬小屋に戻って、特別に可愛がっていた雌馬のサラにブラシをかけていたかもしれない。
隆也は、確かに馬が好きだった。馬から温もりや安らぎをもらっていたようにも見えていた。
自分は、人間の交際相手としてはちょうどよかったのだと思う。特別なレストランやビーチリゾートを望むタイプではなかったし、ただ隆也から与えられる温もりに満足し、言葉にもせず、全身の火照りで自分の思いを伝えていたから。馬小屋のデートが、十分に幸せだったから。
だから、家族になれると信じていたのだ。贅沢は望んでいなかった。馬ではなく、理玖を授かって、自分たちは今こそ本当の安らぎを得るのだと思っていたのに、隆也は消えてしまった。なんの足跡も残さずに。
もちろん、手がかりは探した。
部屋中、ひっくり返して探した。
何か事故に遭ったり、事件に巻き込まれたのではないかという考えを捨てたのは、それが用意周到に計画された失踪だとわかったからだった。
携帯電話は解約され、年賀状や手紙の類まで捨てられていた。衣服はほとんどが部屋に残されていたが、カバンの中身は空っぽだった。後になって隆也から届いた手紙の消印は、住まいの最寄りの郵便局からの投函であることを知らせるものだった。その手紙には、義母のいる神奈川の実家へ行ってほしいこと、そこに、理玖と自分が何とかやっていける用意があることが書かれてあったのだ。離婚届まで、同封されていたのは、まだ義母には伝えていない。
自分自身の痕跡を消しただけで、自分をこの世から消し去ったようには見えなかった。死ぬ気なら、そんな面倒をする必要がない。隆也はきっと生きている、そう確信がある。
しっとりした部室の馬小屋のような場所で、きっと生きている。
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谷村志穂●作家。北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部卒業。出版社勤務を経て1990年に発表した『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーに。03年長編小説『海猫』で島清恋愛文学賞受賞。『余命』『いそぶえ』『大沼ワルツ』『半逆光』などの作品がある。映像化された作品も多い。
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