3月半ばの雨の土曜日は、中津千穂さんにとってひとまずの「最後の撮影」の日でした。
18才で上京して17年、あふれるほどの思い出をくれた東京の街を離れるのは、もう3日後に迫っていました。
「実を言うと、ずっと北海道に帰りたかったんです。親とは親友みたいに仲よしだし、近くには友人もたくさんいて、帰省するたびに『ここで暮らせたらいいのに』と、せつなくなるくらいでした」
それでも帰らなかったのは、ゆずれない夢があったから。モデルになる夢。
けれど、専門学校を卒業してプロダクションに所属しても、望む仕事は手に入りません。事務所が中津さんに求める仕事とも、ズレがありました。
「どんな仕事でもすべきじゃないの?」「でも、したいことがあるから東京にいるのに、妥協していいの……?」
そんな葛藤のなか、結婚と天汰くんの出産という人生を変える転機が訪れ、気がつけば2児のママに。
――夢見た姿ではなかったけれど、たまらなく幸福でした。「いいママになりたい」という思いもふくらみました。近くに住む義理の両親も協力的で、週に1回、子どもを一泊で預かってくれることも多かったそうです。
「すごくありがたかったんですが、子どもが実家に行ってしまうと落ち込むようになったんです。私、たいした仕事もしてないのに何を甘えているんだろうって」
少しずつ笑顔が減り、体重も落ちていきました。久しぶりに会う友人には、“産後うつ”と思われたそうです。
そんなとき、ふと立ち寄った書店で、「コモモデル大募集」の文字が目に飛び込んできました。心の中でくすぶっていた思いに、再び火がついた瞬間でした。
ママでもモデルになっていいんだ。私は、ママとしてモデルになりたい! 夫や義理の両親に、「もう一度モデルに挑戦したい」と言うと、二つ返事で協力を申し出てくれました。オーディションの日、久しぶりに立つカメラの前で感じました。
「ここは自分の居場所だ」と。
それから10年。中津さんはいま、「コモモデルになったことで、“お母さん”にもなれた」と振り返ります。
コモモデルだけでなく、編集者やスタイリストにも、働くママがいました。迷いや悩みを抱えながら、子育てと仕事をがんばる人たち。
撮影の合間に彼女たちの経験を聞くうちに、「肩に力を入れなくていい」
「私は私らしくあればいい」と思えるようになったと言います。
たとえば手をつないで歩く場面。
最初は気ままに歩いて困らせていたのに、気がつけば、ママの歩幅に合わせようと早足で歩いてくれるようになっていました。
たとえば、スタッフとのおしゃべり。小学生になったとたん、敬語で会話できるようになっていました。
「私だけが子どもを育てているんじゃない。たくさんの人とのかかわりのなかで、子どもは自然に学んでいくんですね」
そして迎えた最後の撮影の日。冷たい雨の中、初夏の発売に合わせて薄着になってくれた2人。
「寒いよね、ごめんね」とスタッフが声をかけると、「大丈夫です」と笑顔で答える仁花ちゃん。
「これもいい思い出になります」なんて、大人みたいに言う天汰くん。ママと並んで歩く場面でも、もうおくれることはありません。
「いま北海道に帰るのは、帰っても大丈夫だと思えるからかもしれません。私の中で夢はかなえたと思っているし、子どもたちも新しい場所でしっかり生きていける強さを身につけたと思えるから」
北海道での生活は、決まっていないことだらけ。「モデルの仕事は当然やめるもの」と思っていた中津さんですが、子どもたちに「え? モデルやめちゃうの?」と驚かれ、気持ちに変化が生まれました。
「モデルの仕事は、私だけの夢じゃなくなっていたんですね。10年続けてきたことに誇りを感じました」
コモの誌面にまた出られることがあるかもしれない。北海道でも望まれればモデルを続けたい。新しい夢ができました。「10年間、モデルとしてママとして走り続けてきたけれど、これからは少しゆっくり歩いていきます。また誌面でお会いできる日を楽しみにしています」
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