あなたが営業さんだとします。
あなたが入社前からの付き合いで、長年の取引先であるAスーパーから、
通常55円の「ある商品」を50円にして欲しいと言われました。
ですが50円だと利益がありません、ゼロです。
これは困ってしまいますよね。
・新人のときにお世話になった
・今年の売り上げが大変らしいから、何とかしてあげたい
・担当の○○さんはゴルフ仲間だから、どっちにしても気まずいなぁ
・長年の付き合いだから、無下にはできないし……
歴史や受けた恩、親しい人との付き合いなど、たくさんのことが押し寄せてきて、決めるに決められません。
どれも理由にはなるけれど、決め手に欠けます。
こうなると先ほどのゴミとおなじで、思考がグルグル回りはじめています。
Aスーパーに困らせられ、悩まされ、プレッシャーを受けています。
完全に主役はAスーパーで、あなたは影響を受ける側になってしまっています。
でも、あなたは営業です。
あなたや事務のB子さん、経理のCさんなど、
みんなの給料のためには、利益がなければなりません。
会社だって「ない袖は振れない」ですし、無限に湧き出る泉など存在するのでしょうか?
利益のない取引を積み重ねるほど、終わりが近づいてきます。
こんなことではあなたの努力や苦労も報われませんよね。
だとするとやはり、「利益という基準」で考えるよりありません。
・今回は断る
( 利益がない仕事は受注しない )
・2か月分を変動で契約して、今月は50円で50個、来月は60円で50個とする
( 利益を確保するために、期間を変える、単価、数量で工夫する )
・ある商品は50円で妥協して、替わりに別の売り込みたい新商品、困っている在庫をバーターする
( 将来の利益をつくる、抱えている損を圧縮してトータルの利益を考える )
ほかにもいろいろな方法があると思いますが、
一貫しているのは「利益という基準」です。
「あなたが利益という基準を持って、Aスーパーに対して△△する」
という形がベースになっていますよね。
もしもこの基準がなかったとしたら、どのようになってしまうでしょうか?
先方の営業とはゴルフ仲間だから、友達価格と考えよう
( 公私混同、プライベートでの恩恵があるかどうか? )
付き合いが長く断れないから、嫌だけど仕方ない
( 付き合いが長いことが基準 )
ほかの営業もいるし取引先もあるから、まぁいいか?
( 問題からの逃避、自分が困るかどうか?が基準 )
何だかゆるゆるの基準で、こういうことがあるごとに頭を悩ませてしまいそうです。
散々時間を掛けて悩まされた相手なのに、結局Aスーパーに選ばされたようになっています。
先ほどの「利益」があるかどうかのような一貫した基準がないために、
「自分で選択し、決断した」というような主体性が失われてしまっています。
おまけにリスクもありますよね。
会社にダメージを与える、上司に怒られる、公私混同の程度によっては処分を受ける……
やはり営業だったら「利益」がスタート地点です。
そこから考えて、選択し、決断する。
白いスタートラインがしっかりと引かれていたら、スタート地点に迷うことはありません。
判断も早いですし、たとえ悩むことがあったとしても、
自分の基準( 会社の基準 )に従って、正しい後悔のない判断をした
と自信を持てるのではないでしょうか?
ちょっと考えてみると、こうした基準とは身近なものです。
法律、社内規定、校則、宗教の教義、信号などの交通ルール……
お堅い社会的なルールのようなものから、慣習、文化的なルール、その人の独自のものまであります。
・お昼はワンコインで
( 予算内か? )
・会社では机やロッカーはキレイ、掃除もするけれど、自分の部屋の掃除や整理はあまりしない。
( プライベートかパブリックか? 仕事か? )
・人前ではスーツにネクタイなどキッチリしているけれど、家ではステテコに腹巻
( まわりが身内か他人か? )
では、冒頭のような「部屋の前にゴミが落ちている」とき、
どんな基準でスタートして判断したらいいのでしょうか?
この場合は法律などの社会的なルールではないようですね。
どちらかといえば、個人的なことになるでしょう。
あなたのマイルール、信念、主義などになりそうです。
でも、「そんな難しいことを言われても……」と困ってしまう方もいるのではないかと思います。
そんなときにおススメの、誰でも使える基準は、「後悔するかどうか」です。
あとで何度も思い返してモヤモヤするよりも、いま拾った方が後悔しない。
そう思うなら、拾った方がいいですよね。
ここで拾っていたら遅刻する、テストに間に合わなかったら後悔しきれない。
それならいまは通り過ぎて、テストを優先することが正しい決断です。
私は( どちらが後悔するか?という基準を持って )
ゴミをいま拾うことを選んだ。
私は( どちらが後悔するか?という基準を持って )テストを優先と決断した。
なにせ後悔しないほうを選んでいますから、もう片方の選択肢より後悔しないはずです。
「あのときはベストの判断だった」と言い訳を用意できます(笑)
なによりも自分で答えを出したその選択と決断に、意志や強さを感じませんか?
本当のところ、判断の根拠となる基準とは、何でもいいのです。
こういってしまうと無茶苦茶だと思うかもしれませんが、
1番大事なことはあなたがその基準で「納得できるかどうか」になります。
美しいか、正しいか、誠実か、自分らしいか、カッコいいか、( 家族や子供に )誇れるか……
あなたが1番ピッタリだと思うものでもいいのです。
そもそもこんな風に思う人は、ここまで読んでいないと思いますが、次のような基準でもいいのです。
「こんなにごちゃごちゃ考えずに拾えばいいんだ、回りクドイ!その方がすっきりする!!」
そう思うならば、それは
「自分にとって、ごちゃごちゃすることよりもスッキリしたと思えることが大事」
という基準を持っているということなのです。
ここでは「後悔」という基準をおススメしておきます。
あなたがテーマとなる信念やポリシーをもっているならば、
「それに照らして、いまどうするべきか?」と自分に問いかけてみてください。
そうすることで、案外カンタンに答えは決まってくるでしょう。
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