たとえばお昼のランチ。
友達同士や職場の同僚と出かけます。
何食べよっかー?
グループで食べに行くとき、まずどこへ行くか決めますよね。
そして今日はラーメン、次の日はパスタ、次の日は……
美味しいランチ、イイですね、楽しそうです。
ところでそのメニュー、本当に食べたいものですか?
もし、公平な集団だとすると、人数分の1の確率であなたの食べたいものになるはずですよね。
いかがですか?
食べたいもの、食べられてますか?
こういうときって、パターンがあると思うんです。
自分で食べたいものを主張していくタイプ
他の人が良ければそれに乗って、というタイプ
その2つを使い分けたり、出された意見を受けて、
それにオーケーかそうでないかを答える柔軟なタイプ
これ、ランチだけでなく、授業や仕事の会議、
友達との会話でも同じパターンを持ってたりします。
どこで何を食べるかを主張するなんて、たいしたことじゃない。
そう思う人もいますよね。
そして、空気を読みまくる人には、大事だったりもするんです。
同じように、授業、仕事、会議、友達や家族との会話で、空気を読みまくるんです。
そうして続けようとする協調性って、「望み」なんでしょうか?
「恐れ」なんでしょうか?
ずーっと、ずーっと相手の望み、グループの望みに合わせ続けていると、
自分はどこにいるのでしょうか?
定年退職してすることが無い
(会社の望みに乗っていたから)
いつも会議のあと、モヤモヤする
(みんな賛成なので、疑問に思っても黙っている)
いつも授業のあと、わからないところがある
(質問すると休み時間が短くなる、みんなに迷惑かかる)
このようなことだったら、それは協調性や配慮、和でしょうか?
…
……
まわりにたくさん人がいるとキツイですが、
少数のとき、友達同士のときがチャンスです。
食べたいものを主張してみる、そんなチョットしたことが、自分の望みのはじめの一歩だったりします。
ランチタイムから始める自己主張、試してみませんか?
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