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天橋立行ったら!「細川ガラシャ氏が一番幸せだった新婚生活を過ごしたゆかりの地」オススメ!

天橋立行ったら!「細川ガラシャ氏が一番幸せだった新婚生活を過ごしたゆかりの地」オススメ!
投稿日: 2026年9月18日 更新日: 2026年9月18日
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本の世界から観る史跡巡りが好きで古都にも足を運びます。春夏秋冬いつ...
細川ガラシャ氏は、戦国時代から安土桃山時代にかけて、戦国一の美女と言われた女性としても有名ですね。
明智光秀の娘で、実名は、たま「玉」「珠」と言います。
波乱万丈な生涯を送ったのち、関ヶ原の戦い直前に大坂の屋敷で自らの誇りや信仰を守るために命を絶ちました。
ガラシャ氏は、15歳という若さで嫁いで、35歳という若さで生涯を終えました。

ガラシャの辞世の句は、「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
意味は、花は散るべき時期を知っているからこそ美しいように、人間もまた散るべき時をわきまえてこそ、人間として立派で美しくあるのだ」。

ガラシャの銅像を因みに寄贈したのは、元内閣総理大臣の細川護熙氏です。
細川ガラシャ生誕450年(2013年)の記念に、細川家の第18代当主元内閣総理大臣の細川護熙氏らが寄贈されました。

細川ガラシャ氏のゆかりの地宮津市は、天正8年(1580年)に夫の細川忠興、父細川藤孝とともに宮津に移り人生で、一番幸せな新婚時代を過ごしたと伝えらた場所です。

明智光秀が本能寺の変を起こしたことで、ガラシャ氏は逆臣の娘となり、宮津から丹後の山深い「味土野」へ幽閉となりました。

また、近くにある盛林寺には、明智光秀の首塚もあります。

ガラシャ銅像の制作者の山本眞輔氏は、細川家と宮津市の民の幸せが末永く続くことを心から祈る作品にしました。

天橋立に行かれた際は、是非こちらにもお足をお運び下さい。

後ろ姿の着物の袖は、幽閉された時の味土野のイメージと共に、袖に集まる鳥が帰ってきた時は、「温かく迎える心」また飛び立つものは「飛躍を願う心」が込められています。






コツ・ポイント

細川ガラシャ氏は、生涯の中で4回ほど改名と、引越しは、5回ほど経験しています。

1度目は明智玉(お玉)で、明智光秀の娘として生まれた出生時の名前です。
2度目は細川玉で結婚した時の名前です。
3度目のガラシャは、本能寺の変にて幽閉を経て、キリスト教で洗礼を受けた洗礼名です。「神の恵み」という意味です。
4度目は、秀林院(しゅうりんいん)は死去した後、細川家によって贈られた法名(戒名)です。

居住された場所は、1度目は、明智の領地である坂本城で少女時代を過ごしました。
滋賀県大津市にありました。
2度目は、細川忠興に嫁ぎ、新婚生活を送ったのは、京都府長岡京市にあります勝竜城です。
3度目は、現在の宮津市、宮津城がありました。
4度目は、父明智光秀が「本能寺の変」を起こしたため、逆臣の娘として約2年間幽閉された丹後の山奥の里、味土野(みどの)です。
5度目は、最期を迎えることになる細川家の大坂領邸です。

ガラシャ氏は実に、波瀾万丈な世を過ごしました。ご冥福をお祈り申し上げます。


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