後ろ姿の着物の袖は、幽閉された時の味土野のイメージと共に、袖に集まる鳥が帰ってきた時は、「温かく迎える心」また飛び立つものは「飛躍を願う心」が込められています。
細川ガラシャ氏は、生涯の中で4回ほど改名と、引越しは、5回ほど経験しています。
1度目は明智玉(お玉)で、明智光秀の娘として生まれた出生時の名前です。
2度目は細川玉で結婚した時の名前です。
3度目のガラシャは、本能寺の変にて幽閉を経て、キリスト教で洗礼を受けた洗礼名です。「神の恵み」という意味です。
4度目は、秀林院(しゅうりんいん)は死去した後、細川家によって贈られた法名(戒名)です。
居住された場所は、1度目は、明智の領地である坂本城で少女時代を過ごしました。
滋賀県大津市にありました。
2度目は、細川忠興に嫁ぎ、新婚生活を送ったのは、京都府長岡京市にあります勝竜城です。
3度目は、現在の宮津市、宮津城がありました。
4度目は、父明智光秀が「本能寺の変」を起こしたため、逆臣の娘として約2年間幽閉された丹後の山奥の里、味土野(みどの)です。
5度目は、最期を迎えることになる細川家の大坂領邸です。
ガラシャ氏は実に、波瀾万丈な世を過ごしました。ご冥福をお祈り申し上げます。
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