【出島】は長崎県長崎市にある扇形の人工島です。江戸時代に徳川幕府の命により築造されたました。
【出島】といえばオランダとの貿易の窓口というイメージが強いですが、築造された背景を振り返ってみましょう。
<ポルトガル船来航>
1543年(戦国時代)に種子島に鉄砲が伝来。以降、日本とポルトガルの貿易が盛んになっていきます。1571年以降は長崎港がポルトガル船との貿易港として急速に発展していきました。
<キリスト教の布教~弾圧>
ポルトガルとの貿易がはじまり、キリスト教も日本に伝わりました。その後、西日本を中心にキリスト教が急速に広がりを見せますが、時代とともにキリスト教は厳しく取り締まりを受けることになります。
権力者であった織田信長はキリスト教布教を歓迎していましたが、次第に大きくなる勢力への警戒や「神の前ではみな平等」の思想への危機感から、1587年に豊臣秀吉による「宣教師追放令」、1612-1614年には徳川家康による「キリスト教禁止令」が発令されます。
このキリスト教の弾圧を背景に、キリスト教布教の中心であるポルトガル人の収容所として1636年に築造されたのが【出島】です。
ポルトガル人の収容所として築造された【出島】でしたが、その役割は西欧貿易の唯一の窓口へと変化していきます。
<ポルトガル人の追放>
きっかけは1637年の「島原の乱」の勃発。島原(現在の長崎県)と天草島(熊本県)で過酷な年貢と厳しいキリスト教弾圧に苦しんだ農民が起こした一揆です。歴史上最大規模の一揆ともいわれています。
キリスト教徒を中心としたこの一揆をきっかけに、江戸幕府によるキリスト教の弾圧はより一層厳しいものとなりました。ポルトガルに対する警戒心を強めた幕府は、1639年にポルトガル人を追放。これに伴い、築造されたばかりの【出島】は無人となります。
<「鎖国」の開始>
さらに幕府は外国への渡航、外国船の来航も制限。これが有名な「鎖国」の開始です。西欧ではオランダのみが貿易を許されました。背景は、オランダがキリスト教の布教に他国ほど熱心ではなかったこと、オランダを通じてヨーロッパを中心とした海外の情勢を知る必要があったためでした。
西欧との貿易の唯一の窓口として開かれたのが【出島】。この鎖国政策は約218年もの間続き、日本の近代化に大きな役割を果たしました。
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