会津若松城(地元の方からは鶴ヶ城の名前で親しまれています)は、1593年蒲生氏郷が築いた天守国内唯一の赤瓦の天守閣として復元されました。
大河ドラマ八重の桜でご存じの方も多いと思いますが、新政府軍と旧幕府軍が激突した戊辰戦争の舞台となりました。
会津若松城(鶴ヶ城)の天守閣は「5層5階」の構造です。
会津若松城は葦名氏の時代黒川城から始まり、伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、加藤氏、保科(松平容保)氏と、歴史上活躍した名将たちが治めました。
戊辰戦争(会津戦争)で新政府軍に敗れた会津藩主・松平容保は新政府軍に敗れ、廃城となりました。
写真でもお分かりかと思いますが、今でいうイケメン!当時から藩主松平容平氏は貴公子風で恋心を抱いていたファンも多かったとか。八重さんも密かに憧れていた方ですよ。
こじんまりとした石段は武者走りと言って、お城の大手門の渡りやぐらなどへ簡単に昇り降りができるように設計。V字型に造られ「武者走り」と呼ばれ、鶴ヶ城の特色です。
城内の展望台からは会津地方を一望できますよ。
「飯盛山」をお見逃しなく〜
「飯盛山」は、明治元年(1868年)の戊辰戦争の際に、会津藩の少年部隊「白虎隊」の隊士たちが鶴ヶ城周辺から上がる黒煙を目に、落城したと誤認し、「君臣の義」を果たすべき、集団自刃を遂げるという悲劇が起きました。
白虎隊は数え16歳から17歳の最少年部隊エリート20名。1名だけ助かることができました。
「白虎隊士十九士の墓」があり、毎年春秋の2回、慰霊のための墓前祭が開催されています。
車で5分ぐらいのところに御薬園があります。
薬草はトウキ、フジバカマ、カリンなどがありました。
大きな鯉がたくさんいて、餌をあげると寄ってくるので面白い!
なかなか餌をあげれるところを見かけなくなったので楽しい〜
会津に来たら、「会津三度泣き」という事をご存知ですか。
初めて会津に住んだ人は、よそ者に対して最初は口数が少ないので、閉鎖的な人間関係に戸惑いに涙を流すと言います。
しだいに地域に溶け込み慣れると、会津の人々の温かい心や情の深さに触れて、嬉し涙を流すと言います。
転勤などで去るときは、親切にしてくれた人々との別れを惜しみ三度目の涙を流すとい事です。
これが、昔から言われる「会津の三度泣き 」です。
本当に親切な方が多いですよ。
会津でのお食事処は下記をご参照ください。
ここから、観光名所は、猪苗代湖、野口英世記念館、大内宿、蔵のまち喜多方などもありますよ。
宜しかったら下記をご参照ください。
会津の三度泣きの言葉からわかるように、東北地方は全般に同じようなことが言えると思います。
恥ずかしがり屋の方が多く、慣れるまでに少し時間がかかります。
慣れたら、とにかく明るい!面白い!親切な方も多く、生涯付き合いも長いですよ。
是非、これから東北地方は夏祭りが非常に盛んです。
特に「青森ねぶた祭」「秋田竿燈まつり」「仙台七夕まつり」は東北三大祭りと呼ばれ、活気があって楽しいすよ。
機会がありましたら、お越し下さいませ。
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