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プレスリリース

【もりおか歴史文化館】テーマ展「甘味 -もりおか・お菓子の記憶-」開催中(~7/14)

江戸時代~昭和時代までの「甘味」に関する記録や道具をご紹介




口の中に広がる甘い味わい・・・、というと何を思い浮かべますか?
現代はさまざまな甘いお菓子があふれ、幾度も「スイーツブーム」が起こっていますが、そもそも日本における甘味の始まりは何だったのでしょう。
本展では当館収蔵資料から「甘味」に関するものに焦点を当て、盛岡における「甘味」の歴史を紐解いていきます。江戸時代に盛岡藩主南部家とその家臣たちはどのような菓子を食べていたのか。江戸時代以降、盛岡にはどのような菓子があったのか。実際はどのような色や形、味わいだったのかを想像しながら、この展示をとおして「甘味を食べたい」と思っていただければ幸いです。

「かし(果子/菓子)」のはじまりは?

古代の日本では果実や木の実のことを総称して「くだもの」と呼んでおり、中国から漢字が伝来すると、これに「果子」あるいは「菓子」の字があてられるようになったといわれています。
展示の前半では盛岡藩内の植物の種子や果実について記された資料をご紹介しています。

「産物書上留帳」享保20年(1735)
江戸幕府に尋ねられた盛岡藩内の産物についてまとめたものの控え。
11冊から成り、5冊目の「菓部」には通(※盛岡藩の行政区分)ごとの植物の種子や果実について記されており、展開ページの「梨子」の下にある名前は品種名と思われます。




江戸時代、殿様はどんなお菓子を食べていた?

盛岡藩主・南部家はいつ、どこで、どのようなお菓子を食べていたのでしょう。
今回は藩主に就任した時にお祝いの席で出されたお菓子の記録、また藩主自身が描いたと伝わる「菓子図」を展示しています。

伝南部利敬書画「菓子図」 江戸時代後期カ

上記の画像は11代盛岡藩主 南部利敬が描いたと伝わる画。
「松風」「宇治橋」「ようかん」「ういろう」「まんじゅう」「くさあんもち」など、描かれた様々な菓子の側にその名が記されています。茶会の際に出そうと考えた菓子か、それとも自身の好物か・・・。いつ、どのような時に描かれたものなのか想像力が掻き立てられる資料です。

大正時代の盛岡スイーツ

江戸時代以降も、明治・大正時代に南部家に仕えた人々によって書かれた日誌が残されています。贈答品に関する記録も詳細に残されており、「黄精飴」「片栗落雁」「豆銀糖」「ブドウ飴」「一山饅頭」「家福餅」「花饅頭」など現在も盛岡で食べられている菓子名が多数確認できます。

「雑書」大正14年(1925):盛岡市の南部家別邸に勤めていた人々によって記されたもの


美しい菓子木型の世界

落雁に代表される干菓子や練り切りなどの生菓子を作る際に用いられる道具のひとつである菓子木型。
木型に彫られた模様は鶴亀や松竹梅などの吉祥模様をはじめ、四季の草花、文字、家紋など多種多様です。これらの木型からどのような色彩の、味わいの菓子が生まれたのでしょうか。

菓子木型


展示室の情景

もりおか歴史文化館テーマ展「甘味 -もりおか・お菓子の記憶-」は2025年7月14日(月)までの開催です。

もりおか歴史文化館
もりおか・城と城下町フィールドミュージアム
盛岡城跡公園の一角にある町なかミュージアム。1階は無料で、盛岡を代表する祭りや旬の観光情報を紹介。2階展示室(有料)では盛岡藩の歴史や藩主南部家に関わる資料を展示しています。

所在地  〒020-0023 岩手県盛岡市内丸1-50
電話番号 019-681-2100
URL   https://www.morireki.jp

もりおか歴史文化館は、もりおか歴史文化館活性化グループ(株式会社乃村工藝社、公益財団法人盛岡観光コンベンション協会)が指定管理者として運営しています。

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