弁慶のお墓です。
弁慶堂です。
弁慶は、母の胎内に18ヶ月(『弁慶物語』では3年)いて、
生まれたときには2、3歳児の体つきで、
髪は肩を隠すほど伸び、
奥歯も前歯も生えそろっていたそうです。
父は、これは鬼子だとして殺そうとしたが、
叔母に引き取られて鬼若と命名され、
京で育てられた、そうですよ。
やがて、弁慶は、京で千本の太刀を奪おうと心に決め、
決闘して999本まで集めた。
あと一本というところで、五条大橋で笛を吹きながら通りすがる
義経と出会い挑みかかる。
欄干を飛び交う身軽な義経に返り討ちに遭ってしまいます。
それ以来、弁慶は義経の家来となった、と言われています。
京都のタクシー運転手さんに、
面白おかしく、教えてもらいましたよ\(^o^)/
衣川の戦いの時に、
義経一行は、藤原秀衡のもとへ身を寄せるが、
だが秀衡が死ぬと、子の藤原泰衡は
頼朝による再三の圧力に父の遺言を破り、
義経主従を衣川館にて襲った(衣川の戦い)
多数の敵勢を相手に弁慶は、義経を守って堂の入口に立って薙刀を振う。
奮闘するも、雨の様な敵の矢を身体に受けて立ったまま絶命しまった。
その最期は「弁慶の立往生」と後世に語り継がれたそうです。
弁慶の泣きどころ、弁慶の七つ道具、内弁慶、外地蔵、
弁慶ぎなた式など弁慶に因む言葉もたくさんあって興味深いです。
中尊寺には金色堂もありますが
私はいつもこの場所が好きです。
切ない!儚い!なんか浪漫を感じます。
安らかにお眠り下さい。
今回、薙刀キーホルダーはお値段もお手頃で、格好良いと思い投稿いたしました。
中尊寺は、修学旅行生で賑わっていましたよ。
人気でしたよ〜
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