紙とペンを用意して、相手と自分を書き込みます。
そこに、ゲストを呼んでみましょう。
上司( 嫌いな人 )と部下( 自分 )という図があるならば、
隣に自分の部下や取引先の担当さんを置いてみましょう。
夫( 嫌いな人 )と妻( 自分 )という図があるならば、
子供や親を置いてみてもいいでしょう。
そうして眺めてみたとき、自分と置いてみた人との間に
どんなことを感じますか?
自分がされて嫌なことを、もしかしたら立場が変わったりすることで、
誰かにする側になったりしていませんか?
指導されるときに嫌なことを自分が指導する立場になったときにしていないか?
しつけられるときに嫌だったことを、しつけるときにしていないか?
もししているならば、そこに置いてみた人は、
あなたが嫌だと思ったことを感じているのかもしれません。
嫌いな人との関係だけをクローズアップすると、
なかなか嫌いな人という感覚から抜け出せません。
「嫌いな人」というラベルが貼ってある人を一生懸命見るだけでは、
その人のことが嫌いという「証拠集め」になってしまいがちです。
嫌いな証拠をたくさん集めても、いまより嫌いになってしまうだけです。
自分が部下という構図ならば自分の部下を置いて、
嫌いな人の立場とおなじに「自分が上司の立場」を図に加える。
部下がいないならば、かつて自分が指導的立場だったときのことを思い出してみましょう。
部活やサークル、アルバイト、地域活動などのときなどが利用できそうです。
自分と相手の関係に1人足してみることで、
嫌いな人のポジションに立って観察することの大きな助けになります。
こうすることで、「嫌いな上司」と「あなた」という2人だけの図を、
「上司」と「部下であり上司である自分」と「部下」
と書き換えることができます。
ゲストは思考の補助線とも言えるでしょうか。
すると必要な指導だと納得できることもあるかもしれません。
やはり自分は絶対にしたくないやり方だ、そう確信することもあるでしょう。
相手の立場で、客観的にという言葉はよく聞かれる言葉です。
けれども直接立場を入れ替えて考えても、
どうしても自分の立場、主張、感情を離れられません。
嫌いな人と関係のない人をゲストとして招くことで、
自分の体験や過去の経験を導きやすくします。
立場を入れ替えるのではなく、おなじ構造を借りてくる。
こうすることで相手を理解することにもつながるかもしれません。
もちろん理解できないことも、あるでしょう。
その理解できないことは、自分とゲスト
( あるいはゲストとおなじような立場の人たち )
の関係を良くするために「してはいけない言動」、「工夫が必要な言動」として学ぶことができます。
嫌いな人とあなた、という関係は出来上がっていて、固定化されがちなもの。
固定化された関係という図に注目することから離れ、
ゲストを入れることによって、新しい視点、役割、考えるきっかけを導こう。
ゲストと自分の関係性をヒントにして、気づくことから学んでみよう。
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