そうして素通りしたものの、帰ってきてもまだあります。
何だかモヤモヤしたまま、仕方なくブツブツ言いながら片付けるあなたの姿が……
心は当然のようにスッキリしません。
それはそうですよね、
さんざん葛藤して先送りした、結論の出なかったことですから。
結局は仕方なしに、ブツブツ言いながら片付ける。
この「仕方なくやること」、これってどこかで出てきたことなんです。
……
…
そうですね、
「① 空気を読むということは、主体性がなく「やらされ感」がある」
ということにつながることなんですね。
仕方なくやることには、やらされ感がいっぱいです。
捨てた奴に拾わされた。
誰も片付けないので、片付けさせられた。
何だか負けたような気がする……
意地を張って拾わないこともできますが、ベッドで眠る前に思い出したりすることもあるでしょう。
明日出かけるときには、「無くなっていたらいいな」と期待することもあるかもしれません。
けれどもたぶん、次の朝も目にすることになるでしょう。
こういうのって、明確に責任者や対象者、当番、担当など、決まった人がいませんよね。
家族の誰かがやるはず
職場の誰かがやるだろう
地域の誰かが担当だろう
行政がチェックするはず
責任の所在や担当などが曖昧であると、責めるところや依頼するところもわかりません。
もしもホテルの廊下だったとしたら、迷いなくフロントに告げますよね、きっと。
お金を払って泊まるホテルの共有部分ですから、その責任の所在は明確で疑いのないことです。
空気の読める、よく気の付くあなたが、ホテルに教えてあげて、ホテルが片付ける。
ゴミが片付き綺麗になることで、あなたの気持ちもスッキリし、ホテル側も「ご連絡いただきありがとうございました」となる。
あなたは親切心を発揮して、ホテルは仕事をし、ほかの宿泊客は目にして不快にならずに済む。
いいことづくめです。
けれども相手がはっきりしない場合、気持ちの持って行き場がありませんから、気になる人は気になり続けます。
気になることが無くなる、解消する、あるいは忘れてしまうまで、ずっと気になります。
自分がやるのも、なんだか違う。
誰かにやらせるのも、やるべき人がわからない。
大騒ぎして問題提起するようなことでもないし、それが適切かどうかなんとも……
かといってそのまま放っておくことも、気になってもどかしい。
グルグル回る思考の完成です。
どこかでスパッと割り切らない限り、モヤモヤから抜け出せません。
「決断力がない」とも言えるかもしれませんね。
ただ決断するにも、決断する理由や根拠、よりどころがなければ、どうにも決めようもありません。
困ってしまいましたね……
こんなゴミのことで、いったいどうして熱心に語って、それを読んでいるんでしょうか?
馬鹿馬鹿しいですよね、ホントに。
もうゴミに支配されちゃってるようですね(笑)
まぁ、気になるということって、そういうものですよね。
それがすべてになっちゃうような感じでしょうか。
……
…
そこがポイントなんですよね、じつは。
ゴミに支配されている、気になることに支配されている。
ここではまさしく、主役があなたではなく、ゴミになってしまっています。
ゴミに支配される、ゴミに拾わされる、ゴミにプレッシャーを受ける……
基本的な構造そのものは「やらされ感」とおなじです。
そこには主体性がありません。
「やらされ感」を解消するためには、
『「なんとなく」「自然に」「つい」という行動をいったん置いて、
自分で選んで決める。」』
ということが必要でした。
「なんとなく」でハッキリした理由なしにゴミを拾うから、モヤモヤするのです。
「つい」目を背けるようにスルーするから、スルーした後も気になるのです。
そこには決めるために必要なものが欠けているのです。
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