隠れて見えないものの力が働いた。ということを、
「お蔭」という言葉で表現しているんですね。
試験に向けて勉強しているときに、勉強の仕方を教えてくれた人は、どうやったら、分かりやすく教えられるか?
教える本人には見えないところで努力もしているでしょう。
いざ試験となれば、合格して欲しいという気持ちが願いとなるものです。
商談が成功するように、情報を提供してくれたり、
一緒に企画を立てた人たちは、商談の成功を願うでしょう。
誰かと誰かの仲が、こじれてしまったことを相談されたら、和解ができるように願うでしょう。
誰かと誰かを引き合わせたら、良縁を願うでしょう。
親しい人が何かを始めたことを知れば、上手くいって欲しいと願うでしょう。
目に見えない所で尽力してくれたことを知ったり、
成功を願ってくれたことを感じたときに、
「おかげさまで」というお礼の言葉が出てくるんですね。
競争の厳しい世の中で、
相手の失敗を望みながら様子を伺おうとして「最近どう?」と聞いてくる人に対して、
嫌味の気持ちを込めて「お陰様で絶好調です!」なんて皮肉を込めて、
この「お陰様」を使うこともありますね。
競争相手に対しては、お互いの後ろに見えない存在として、
どれだけの味方が付いているかを確かめたいと思うのは当然ですよね。
自分の味方になってくれる存在を多く感じられるほど、
「お陰様」と思う気持ちは大きくなっていくと思います。
自分の味方になってくれる人、協力してくれる人が居ると感じるだけで、
心強く、進むべき方向を見失わずに努力を続けていけるものです。
これは目に見えるものではなく感じるものでもあります。
昔の人は今の人よりも、
神様や仏様などの偉大な存在を感じやすかったと言われています。
この「お陰様」という言葉も元々は、
神様や仏様、またご先祖様たちが力を貸してくれた、
助けてくれた、導いてくれたと感じたときに、
「お陰様」という目に見えないご活動に対しての感謝の言葉として、
生まれたものだと思われます。
目標に向かって努力をしていれば、
神様や仏様、ご先祖様たちが力を貸してくれるでしょう。
真っ直ぐに努力している人は、周囲の人達も力を貸したいと思うものです。
そうやって、いろんな存在の力が重なり、願いとなって、目標を達成したとき、
自然とたくさんの存在の「お蔭」を感じると思います。
何か目標を達成したときには、どれくらいの「お蔭」が助けてくれたのかを
しっかり感じるようにして「お陰様で」と感謝をする気持ちを、
大事にしていきたいですね。
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