どうでしょうか?
そんなにたくさんはいませんよね?
いるはずがないのです。
……だから大変なのではないですか?
こうした空気を読むということは、1つの能力、才能です。
誰でもがおなじように持っている、使っている能力ではないと思います。
いつも気づくのは、おなじ人ではありませんか?
それが次のようになると、バランスが崩れます。
相手やまわりは空気が読めない → 自分のために何もしてくれない
それなのに……自分はいつも空気を読んで行動する → 相手やまわりがラクをしているように感じる
相手やまわりが空気を読んで行動してくれないとすると、
いつもあなたが空気を読んで行動することになってしまいます。
これが何度も繰り返されると、あなたの役割になり、そのグループのパターンになります。
習慣ができあがるのですね。
こうした役割も、報酬や対価があるならば満足することもできます。
感謝される
( 空気を読む行動 = 感謝されるので嬉しい、みんなに承認される )
表彰されるような名誉がある
( 空気を読む行動 = 誇り、能力の証明 )
出世や給料といった評価につながる
( 空気を読む行動 = 報酬、将来の出世 )
いつもお世話になっているので、当然のことだと思える
( 空気を読む行動 = お互い様 )
たとえばここにあげたように、天秤のバランスをとるようなことがあるとすれば、
まわりのために空気を読んで行動することを、自分の役割として積極的に受け入れられることでしょう。
そこには空気を読むということのポジティブな意味が存在します。
けれどもあなたが空気を読んで行動するだけで、相手やまわりが空気を読んで行動しない。
さらに報酬や対価もないとすると、錘( おもり )をのせた天秤は「損」側にかたむいたままになります。
空気を読んで行動すればするほど、錘は増えていく構造ですから……
そこには満足感や納得はありません。
不平等感や不満を感じたら、それは「損している」ということでしょう
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