
頭の部分がカメラに収まらない程大きな「フタバサウルス・スズキイ」の化石です。
いわき市の約8500万年前の地層から1968年に当時高校生だった鈴木直さんが発見!
新属新種のクビナガリュウであることが38年目にようやくわかり、「フタバサウルス・スズキイ」という学名がつきました。
いわき市から発見された化石の中には、イワキリュウや海トカゲ、モササウルス、アンモナイトなど多数化石が発見されました。
絶滅した恐竜の一例です。
トリケラトプスの化石です。
ティラノサウルスの化石です。
化石の一例です。
炭田です。
炭田は、化石燃料の一種で、石炭は、植物が地中で長い年月をかけて圧力と熱によって変化したものです。
常磐炭田は、幕末から昭和にかけて日本の近代化の基礎を築きました。
約1トンの石炭の塊です。これは、約3500万年前のメタセコイアの化石です。
模擬坑道です。
当時の地下600mの雰囲気を味わいながら炭鉱状況の移る姿が、実にリアルによくわかりますよ。
明治9年(1872年)頃
蝋人形にて、当時の様子が本物そっくりに作られています。
音声付きで、いわきの話し言葉も耳にすりことができます。
手ハンマーにより孔(穴)を操る切羽。
炭鉱を運ぶトロッコのようなものです。
炭鉱の街いわきの当時の共同炊事場です。
こちらも音声付きです。
昭和37年(1962年)頃
だいぶ近代的になってきました。
トロッコがサイドダンプローダーになり、炭鉱を運ぶ便利なトラックになりました。
休憩所です。
連絡には電話が使われていました。
一万円札の肖像画の渋沢栄一氏です。
渋沢栄一氏といわき市との関わりは、炭鉱開発、それに伴う企業の設立です。
渋沢栄一は、磐城炭礦社の設立に尽力し、1884年(明治17年)本州最大の石炭埋蔵量を誇る磐城の石炭を採掘するため、磐城炭礦社を設立しました.。
磐城炭礦社は、日本の近代化における動力源として、石炭を供給しました.
やがて、昭和に入り、エネルギーの中心が石油に移ると、石炭産業は衰退、常磐興産は温泉に転化し、「スパリゾートハワイアンズ」へとなりました。
いわき市の炭鉱の歴史は、1855年(安政2年)に片寄平蔵が弥勒沢で石炭を発見したことから始まり、1976年(昭和51年)に全ての炭鉱が閉山し、約121年の幕を閉じました。
かつて常磐線を走っていたD51946です。
蓋のようなところが焚き口戸です。石炭の燃料を入れるところです。
炭水庫です。
とても楽しいところですので、ぜひ〜おすすめ観光スポットです。
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