空気を読み過ぎて人間関係がつらいあなたへ ⑦一方的な損を解決するために(中編)

空気を読み過ぎて人間関係がつらいあなたへ ⑦一方的な損を解決するために(中編)
投稿日: 2017年6月27日 更新日: 2017年6月27日
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オンラインカウンセリング/コーチングサービスのボトルボイスです。 こ...
「一方的な損を解決するために(前編)」を読まれた方の中には、
それだけでは解決しないと思われた方もいることでしょう。

どういうことなのかと言いますと、
「一方的な損を解決するために(前編)」で取り上げたことは、
前提として明確な相手がいる、という場合の話なんですね。

部屋の前の通路に、ゴミが落ちているとしましょうか。
( 部屋の前の通路の部分を、家や玄関、職場の床などに読み替えてもOKです )

このゴミについて、感じない人は何も感じないでしょう。
気づきもしないし、目に入っても認識しない。
信じられないようなこともあるんですけれど、そういう人も現実にいますよね……

でも、空気を読むことができるような人は、すぐ気づいてしまいますよね。
「なんでこんなところにゴミが!!」
そこで葛藤がはじまるわけです(笑)

ちいさなことですけれども。

ここを通る人は「ゴミの前の部屋の奴が拾え」と思うよな、たぶん。
自分も立場が違ったら、そう思うかな?
その空気を読んで、自分で捨てるべきか?

でも自分のじゃないし……
片付けたら、また誰か捨てるんじゃないか?
管理人がすることかな?

ここを通るのは自分だけじゃないし、誰かが……
無いほうが気持ちはいいけど……
見えないところに蹴って移動しようか?
隣に押し付けるかな?

仕方なくやることにはやらされ感がいっぱい

仕方なくやることにはやらされ感がいっぱい

そうして素通りしたものの、帰ってきてもまだあります。

何だかモヤモヤしたまま、仕方なくブツブツ言いながら片付けるあなたの姿が……

心は当然のようにスッキリしません。

それはそうですよね、
さんざん葛藤して先送りした、結論の出なかったことですから。

結局は仕方なしに、ブツブツ言いながら片付ける。

この「仕方なくやること」、これってどこかで出てきたことなんです。
……


そうですね、
「① 空気を読むということは、主体性がなく「やらされ感」がある」
ということにつながることなんですね。

仕方なくやることには、やらされ感がいっぱいです。

捨てた奴に拾わされた。
誰も片付けないので、片付けさせられた。
何だか負けたような気がする……

意地を張って拾わないこともできますが、ベッドで眠る前に思い出したりすることもあるでしょう。

明日出かけるときには、「無くなっていたらいいな」と期待することもあるかもしれません。

けれどもたぶん、次の朝も目にすることになるでしょう。

誰に向けたらいいのかわからないモヤモヤ感

誰に向けたらいいのかわからないモヤモヤ感

こういうのって、明確に責任者や対象者、当番、担当など、決まった人がいませんよね。

家族の誰かがやるはず
職場の誰かがやるだろう
地域の誰かが担当だろう
行政がチェックするはず

責任の所在や担当などが曖昧であると、責めるところや依頼するところもわかりません。

もしもホテルの廊下だったとしたら、迷いなくフロントに告げますよね、きっと。

お金を払って泊まるホテルの共有部分ですから、その責任の所在は明確で疑いのないことです。

空気の読める、よく気の付くあなたが、ホテルに教えてあげて、ホテルが片付ける。

ゴミが片付き綺麗になることで、あなたの気持ちもスッキリし、ホテル側も「ご連絡いただきありがとうございました」となる。

あなたは親切心を発揮して、ホテルは仕事をし、ほかの宿泊客は目にして不快にならずに済む。

いいことづくめです。

けれども相手がはっきりしない場合、気持ちの持って行き場がありませんから、気になる人は気になり続けます。

気になることが無くなる、解消する、あるいは忘れてしまうまで、ずっと気になります。

決断しようとしても「決め手」に欠けるからますます悩む

決断しようとしても「決め手」に欠けるからますます悩む

自分がやるのも、なんだか違う。
誰かにやらせるのも、やるべき人がわからない。

大騒ぎして問題提起するようなことでもないし、それが適切かどうかなんとも……

かといってそのまま放っておくことも、気になってもどかしい。

グルグル回る思考の完成です。

どこかでスパッと割り切らない限り、モヤモヤから抜け出せません。

「決断力がない」とも言えるかもしれませんね。

ただ決断するにも、決断する理由や根拠、よりどころがなければ、どうにも決めようもありません。

困ってしまいましたね……

「なんとなく」でゴミを拾うから気持ちが支配される

「なんとなく」でゴミを拾うから気持ちが支配される

こんなゴミのことで、いったいどうして熱心に語って、それを読んでいるんでしょうか?

馬鹿馬鹿しいですよね、ホントに。
もうゴミに支配されちゃってるようですね(笑)

まぁ、気になるということって、そういうものですよね。

それがすべてになっちゃうような感じでしょうか。
……


そこがポイントなんですよね、じつは。

ゴミに支配されている、気になることに支配されている。

ここではまさしく、主役があなたではなく、ゴミになってしまっています。

ゴミに支配される、ゴミに拾わされる、ゴミにプレッシャーを受ける……

基本的な構造そのものは「やらされ感」とおなじです。

そこには主体性がありません。

「やらされ感」を解消するためには、
『「なんとなく」「自然に」「つい」という行動をいったん置いて、
 自分で選んで決める。」』

ということが必要でした。

「なんとなく」でハッキリした理由なしにゴミを拾うから、モヤモヤするのです。

「つい」目を背けるようにスルーするから、スルーした後も気になるのです。

そこには決めるために必要なものが欠けているのです。


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